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僕が星になるまえに



「僕が星になるまえに」。
作品の完成度としてはあまり高くないとか、世間的に評判は良くないですが、私はこれ好きなんです。(でもベネ氏が出演してなければ見なかったろうなとは思う)
好きなんだけども実は通してみたのは2回だけ。内容が辛すぎて「えいっ!!」と気合を入れないと見れないの。それもこれもやっぱりベネ氏の演技力のなせる業かと思うのだけど。

ところで私、なぜかずーっと「星の王子様」が映画のベースにあるんだと勘違いしていたんですが、dicoさんがブログでまとめてらっしゃるのを読んで(こちらでは削除された部分についてまとめられています。興味深い記事かと思いますのでおススメです)「ああ!ピーター・パンか!」と納得したワケです。
今頃です。
そして「ジェームズ~・・・!」という気持ちが抑えられなくなったのです。


最初にこの映画を見た時に思ったのは
邦題、ダサっ!!
ってことでした。もうちょっと何とかならなかったのか、と。
今になってみると何も知らなかったワタシ、(方向性はともかくも)なかなかイイところに目をつけてたよね。自画ジサ~ン。
ベースにピーター・パンがあるとわかれば、「THIRD STAR」というタイトルのなんと意味深なことか。
元々はピーター・パンがネバー・ランドの場所を聞かれて「Second star to the right, and straight on till morning.」と答えたところからつけたものですね。
映画を見た直後にいくつかレビューを読んだんですが、その中に「彼らは30歳近い年齢であるのに子供っぽすぎないか」というのがありました。
気の置けない男友達だけの、特別な旅なんですからそりゃそうなるだろうよ、とその時は思ったのですが。

だってこのお話の根っこには「ピーター・パン」があるんだから。
ああ、納得。


友人たちがそれぞれやるせない気持ちを抱えながら停滞した毎日を送っているのを、ジェームズも感じていただろうし、そこから進んでほしいと切実に思っていたのでは。
自分の時間は終わりを迎えようとしているけど、彼らにはまだまだそれは残されているのだから。どれだけジェームズが望んでももう手に入らないかけがえのないものが。
ジェームズの望む旅の終わりは、友人たちには人生の重い枷となるだろう。
けれどその反対に、生きることに光を感じるきっかけにもなりうるのではないだろうか。
あの旅はジェームズのそんな願いが籠っていたのではないかな・・・と、映画を見た直後はそのようなことを考えていたと思います。

最近になって映画のノベライズが出ているのを知って、早速読みました。
登場人物の心情が、映画内よりももう少し詳しく書かれていて、ジェームズのセリフの中に「君たちの中に何か前向きになってもらえることを残したくて焦っていた」というのがありました。
これは私が感じたことと同じと思っていいのかな。
あの旅はジェームズ自身だけじゃなく、友人たちのための旅でもあったと。

29歳というのは、なんともあやふやな、どっちつかずの年齢な気がします。
(偏見アリアリですが、特に男性にとっては)
立派な大人だけれど、どこか心の片隅にまだ子供の部分を残すことを良しとしているような気がするのです。

「Jamesは、『The 2nd Star』を通ってネバーランド(子供の国)へみんなを連れて行くピーターパンではなく、『The Third Star』を越えて現実へとみんなを連れて行く大人への道案内人」と書いていた方がいて、この一文はストンと胸に落ちました。
ノベライズ版でも「2番目の星が永遠の子供の国への星なら、3番目の星は永遠の大人の国かもしれない。」とジェームズが言っています。

だからこの映画のタイトルは「THIRD STAR」でなければならないのだと思いました。映画の一番重要な部分そのものなんだもの。


もうひとつ、タイトルについて言及されている方がいました。
「スタートレックVI 未知の世界」のカーク船長のセリフが関係しているのではないかというものです。
また、ジェームズが子供のころにこの映画を見ていたのなら、彼が最後にとった行動にも納得がいくように思うと続けてありました。

1年前に映画を見て、感じたことを誰かと話し合いたーい!ファンになるのが遅かったのが辛ーい!と悶々としていましたが、こうやって後追いすることで沢山の感想・考察を目にすることができるのは幸せなことだなぁと最近感じます。
なんだか、あちこち掘り返して宝探ししてるみたい。


・・・ちょっと横道に逸れてしまいましたね。
さて、スタートレックです。
「Ⅵ」が公開されたのは1991年、ジェームズが10歳前後の頃かと推測されます。
空と宇宙が好きなジェームズ。小説家になりたかったジェームズ。
ストーリーの中で「脱出」「トッツィー」「スター・ウォーズ」などの映画の話も出てきますから、彼は映画が好きだったのかもしれないですね。
見たとは断言はできませんが、見ていないとも言い切れないんじゃないでしょうか。

私自身はしっかりと見たのは「イントゥ・ダークネス」のみですが、むか~しテレビドラマ版をたま~に見てたのでオリジナルの旧メンバーもわかりますよ・・・ということでⅥを見ました。
カーク船長もMr.スポックも・・・老けたなあ!!

あらすじはこんな感じです。
映画内でクルーは3か月後に退艦することが決定しています。(て・・・定年退職!?)
そのような状況下、今まで惑星連邦と敵対関係にあったクリンゴン星が滅亡の危機に陥ったことにより、スポックは今が和平を進めるチャンスであると考え、和平交渉にやってくるクリンゴン宰相を出迎える任務に志願します。
クリンゴンに息子を殺されているカークにとっては、納得のいかない、いやいやながらの任務です。
それでもなんとかエンタープライズ号へ迎え入れての会合を終わらせ、宰相一行が自分たちの船へ戻るのを見届けます。
しかしほっとしたのもつかの間、エンタープライズから発射されたと思われる魚雷が命中したことで宰相が死亡。カーク・Dr.マッコイは犯人としてクリンゴン側に逮捕されてしまいます。


・・・またまた横道に逸れますよ!
dicoさんから、この「スタートレックVI 未知の世界」の監督・脚本を手掛けたニコラス・メイヤー氏は「シャーロック・ホームズ」のパスティーシュを書いているんですよ、と教えていただきました。

カーク船長が捕らわれた後、事件の謎を解くべくスポックによる犯人探しが始まるのですが、その時のセリフがこちら。
An ancestor of mine maintained that if you eliminate the impossible,
whatever remains, however improbable, must be the truth.
不可能を消去して最後に残ったものはたとえ信じられなくても真実だ。

わあ~~~!シャーロックだあ!
ちなみに本家はこう。
When you have eliminated the impossible, whatever remains, however improbable,
must be the truth.

さらに、クリンゴンのチャン将軍はシェイクスピア・マニアで、ちょくちょくシェイクスピアの作品からセリフを引用してきます。
途中「The game's afoot.」のセリフもあって一瞬「おっ!?」となったのですがどうやら「ホームズ」の、ではなくてこちらもシェイクスピアからの引用なんでしょうね。


・・・戻ります。
事件を解決して無事エンタープライズ号へ帰艦したカークのもとへ、帰港して解任式に出席するよう本部からの命令が伝えられます。
戸惑いの表情を浮かべるカーク。
「もし私が人間なら“クソくらえ”といってやります」
そんなスポックの言葉を聞いて、カークは言うのです。
「Second star to the right, and straight on till morning.」

ラストは次世代への交代を予感させるようなカークの艦長日誌で終わります。

もしジェームズがこの映画を見ていたら、何物にも捕らわれず、自分の進む道は自分で決定するのだという思いに至ったかもしれません。
あの旅の根底に、幼いジェームズのそんな記憶が影響していないとも言えないんじゃないでしょうか。
想像の域をでないことではありますが。


ジェームズに影響を与えたかどうかはともかくも、カークのセリフはとても印象的でした。
少年の頃のように、また冒険の旅にでかけよう。2番目の星を目指して。
そんな瑞々しさ、力強さを感じました。

そして私は「ジェームズぅ~・・・」という気持ちに苛まれるのです。
ジェームズだって友人たちと「2番目の星」を目指したかったよな・・・「3番目」じゃなくてさあ!

やっぱりこの映画のタイトルは「THIRD STAR」じゃないとダメだよね。
ここに全部凝縮されてるんだもん。

最後にもう一つ。
「ピーター・パン」といえば、ウェンディやフック船長が出てくるお話を思い浮かべますが、これは正式には「ピーター・パンとウェンディ」といいます。
そして、これの前に著者のジェームス・マシュー・バリーは「ケンジントン公園のピーター・パン」というお話も書いています。
生まれたばかりの赤ん坊だったピーター・パンが、あのピーター・パンにどうのようにしてなったのかを想像させる、「ピーター・パンとウェンディ」の前日譚のようなお話です。
この中で赤ん坊は生まれる前は鳥だったと書かれているのです。

ジェームズは永遠に大人になれないピーター・パンがモデルで、それは「ピーター・パンとウェンディ」からであって、「ケンジントン公園」のほうまでには及んでいないと思うんですが・・・。

時折差し込まれる空を飛ぶ鳥の群れと、それを見上げるジェームズが、「生まれてくる命」と「死んでいく命」の対比のようで、ここでもまた「ジェームズ~~~~!!」と私の心はえぐられるのです。



好きな映画なのに!!
私の好きなガリガリのほっそほそでツルツルの可愛いベネさんが出ているのに!!
色々と突き詰めたことによって、更にダメージ度が上がって、もはや「えいっ!!」どころの気合では見られなくなりそうです。
ツライ!!
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