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つらつらつれづれ

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フランケンシュタイン 再び感想

東京は暖かく、桜が満開でした。
そして今現在札幌は雪。サムイ!!
地球規模で見たら日本なんてちっぽけなのに、こんなにも気候に差があるなんて不思議だ~。


やっぱり「フランケンシュタイン」おもしろいね~!
しかし「ハムレット」に続き、前回の「フランケンシュタイン」を観てから感想を書く間にかなり自分勝手に思い込んでいたところがあり、(あちゃー・・・)となりながらの鑑賞となりました。

前回はクリーチャーの『Anything in the world !』の後のBCヴィクターについて書きましたが、ここのところすっごくあっさりだった・・・。私の記憶と違うじゃん。あちゃー。
私がこのセリフの後のBCヴィクターだと思っていたのは、エリザベスがクリーチャーに襲われているのを見ているヴィクターだったかもしれないなー。
ちょっとねえ・・・本当に自分の記憶があてにならなさすぎてビックリだね・・・。


今回は2回目なので、話の流れも分かっているし、もう少しちゃんと覚えてると思うんで・・・大丈夫だと思うんで・・・。

前回と同じに1回目BCヴィクターver、2回目BCクリーチャーverの順で観ました。
友人曰く「1回目のヴァージョンの方が印象が強く残る」。
ここのところはやはりそう感じるんだな~と思いました。できれば今回は逆の順番で観て初鑑賞の友人に感想を聞きたかったけど、地方民としてはなかなか微調整が効かないからな~。
そして「映画のように映像がカット割りされているのはしょうがないとは思うけど、やっぱり生でみたいよね。1人がセリフを言っている間の、相手の表情が見えないもん」と言われて、そういえばこれは舞台なんだった!とハッとしました。
映画やドラマだったら画面に映る人だけが演じているんだけど、舞台は舞台に上がっている人すべてが演技をしているんだよね。
特に「フランケシュタイン」ではヴィクターとクリーチャーは合わせ鏡のような存在だし、相手の言葉に対しどう反応しているか、どんな表情の変化を見せているか、なんてところをみたい。
やはり舞台は「生」で観るべきだよなあ。

彼女は「SHERLOCKはドラマとして好きだけど、バッチさんには惹かれない」と言っていたんですが、今回の舞台を観たことで「ちょっと興味が湧いてきた」そうなので、内心(しめしめ・・・)と思っているのです。
しかし「バッチさんじゃない方の人、声ガッサガサやん!おろし金で擦ったのかってくらい。いつもあんなガッサガサなの?」とJ.L.Mにも興味を持った様子。彼は米版のシャーロック・ホームズをやっているよ、と教えると「観たい」と言っていました。「ガッサガサかどうか確かめたい」と。
それからNTLiveにも。
こちらの都合で遠くまで足を伸ばして貰いましたから、今回の旅行で何かしら興味を惹かれるものに出会えたと思って貰えたら嬉しいですね。

そしてもう1人、カンバーバッチ沼に引きずり込みたい友人がいます。
今回同行してくれた彼女と共通の友人です。残念ながら都合で来られなかったけれど、ぜひ次回は・・・!(←また見に行きたい・・・と思っているんですよ、私。好きなものは何度でも見られるタイプですよ!)
彼女は英語が出来る人だから、字幕と英語のセリフについて聞きたいなあと思っているのです。

どうしても字幕に集中してしまって、英語のセリフは“音”として聞いてしまうけど、今回はその“音”が意味を持って耳に入ってくることがあったので、もうちょっと見ることよりも聞く方に意識してみれば良かったなーと後悔しています。
セリフ自体はそんなに難しいものではなかったようだったので。
その意味を持った“音”の中で、クリーチャーが自分を “different” だ、と言っているセリフが何度かあったんだけど、それが印象に残っています。
それからエリザベスの “Why not just give me a child ?” (←多分こんな感じ)。どうしてこれが気になったかといいうと、「どうして子供を作ろうと思わなかったの?」とか「帰ってきたら沢山子供をつくりましょう」とか、日本語字幕にするとなんだか情緒がないセリフになっちゃうなあ・・・と感じたから。ネイティヴ的にはこの日本語字幕のニュアンスでいいのかしらねぇ・・・。もうちょっとこう “give” の感じを出した方が良かったんじゃないの。「授かる」とかさ~。「私にも愛情を向けて。私を見て」って気持ちもこもってるんじゃないの?
つくろう!つくろう!ってエリザベスがヴィクターにグイグイと迫っているようで、ちょっと違う気がするわ~、これ。

それからですねー・・・今回自分がそう見えたことにぎょっとしてしまったんですが。
クリーチャーがエリザベスの上で果てた時、BCヴィクターも同じようにオーガズムを迎えたのではないか・・・と。BCの演技が、その時の声や表情が、そう見えました。
JLMヴィクターは悲しげな、泣きだしそうな顔でBCクリーチャーを撃つこともできずにいたのに。やはり両バージョンで描かれ方がかなり異なっているなと改めて感じました。
女性と交わって新しく生命を創り出す行為を成すことで「完璧な男」になったと叫ぶクリーチャー。
そしてBCヴィクターはそれを見て、自分の分身としてクリーチャーと感覚を重ね合わせてしまったのか、それとも失敗作が完全な人間となることに興奮を抑えられなかったのか。理由はどうあれ神はそんな行為は必要としないだろうから、(女性を介さずに)生命を創り出す神の座から転落して、彼もまた「人」となった、と考えてもいいのかなと思いました。


そして前回「薄いよー!薄いよー!」と散々書いたBCクリーチャーverですが、今回はすっかり引き込まれました。
友人は「こちらのほうがクリーチャーの悲しみを強く感じる」そうです。
そして「ヴィクターの声がガッサガサで天才感が薄いんだよ!」とも・・・。ガッサガサがとにかく気になってしまったようで・・・。

2回目の鑑賞で、やはり完成度はBCヴィクターverのほうが上かなあと思いましたが、BCクリーチャーもいい。
そして、叶うはずのない、しかし多くの人が願っていることを私もまた書かずにいられないのです。

BCヴィクター&BCクリーチャーversionが見たいよね!!と。






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フランケシュタイン 3

エリザベスが可愛かったなー。
愛情に溢れていて、思いやりがあって。
原作のエリザベスもヴィクターを精神的に支える魅力的な女性として描かれているけど、舞台版はちょっと押しが強くて、でもそんなところも嫌味がなく却ってチャーミングなの。
きっと頭もいい人なんだろうなあという印象。
とても良い子でヴィクターにはもったいない。特にBC版ね。

エリザベスの存在っていうのはなんだろう。
ヴィクターの人として欠けてる精神的部分のメタファー的なものかと思ったり。
そしてクリーチャーが欲していたもの(肉体的なものじゃなくてね)そのものでもあるのではないかと。

クリーチャーを受け入れたもう一人の人物である盲目の老人。
人の本来持っている「善」とか「良心」とかそういったものを連想させる存在であったけど、彼の目が見えていたらどうだったろう。
人の心は体制に流されやすいもの。老人がみせた人の「良き心」も、なんともあやふやなもののように思えるのだ。

エリザベスはクリーチャーと真正面から向き合って「友達になりましょう」と言い切る。
醜い容姿であるとともに、人の「負の感情」を写し取るようにして成長してきたクリーチャーをだ。
なんとも強くて、懐の深い女性だ。BCヴィクターには本当にもったいない。

BCクリーチャーがよく分からなくて、「あれ?あれ?」と戸惑っていたのだけれど、エリザベスの後ろ姿越しにこちらを向いたクリーチャーが許しを請う場面・・・とても印象に残っている。
ほんの一瞬の表情で、観ている側に溢れるように感情が流れてくるBCの演技にはホントに感服する。うまいっていうのはこういうことか、と。
これから彼が行おうとしていることを考えれば、どんなに言葉を尽くそうと許されることではないんだけれど。
・・・けれど、この時のクリーチャーがなんとも孤独な、高貴な存在にみえてしまったのだ。
エリザベスを手にかけることによって、その後の自分がどうなるかもすべて悟っているようにも見えた。

ヴィクターとクリーチャーは二人で一人のアダムなんだと思いながら観ていた。
そのアダムの欠けている部分を埋めるのがイブであるエリザベスなんだろう。
でも、アダムはイブを拒絶する。
アダムはイブに林檎を分け与えもしなかった。



あれー・・・。
ヴィクターとクリーチャー目線ではしましまさん・hedgehogさんのコメントにある「ある意味ハッピーエンド」な物語で納得できるのに、エリザベスが入ってくるとどうしようもない「悲劇」になっちゃうなー。
あれー・・・。

そして全編を通してみるとBCヴィクターに関しては、「不能説」「同性愛説」に加えて「自己愛性パーソナリティ障害」の疑いもあるのではないかと思うのですがどうでしょう。




フランケンシュタイン 2

生まれたてのクリーチャーがあまりにも赤ん坊そのものだったから、見捨てたヴィクターに「自分で作ったものに責任を持てよ!」と原作を読みながらそれはそれは腹が立った。
そして舞台上のJLMクリーチャーは、原作の通り無垢な赤ん坊だった。
多少不気味な容姿ではあっても、生まれ落ちた時から徐々に成長していく過程を見ていたらそりゃあ情も湧くよね。可愛くすら見えてくる。
おまけに創造主のヴィクターが人でなしだから、その対比で余計にJLMクリーチャーが哀れに思える。観ている側は容易にその心に寄り添うことができる。

そしてBCクリーチャーなんですけど・・・。
あのー・・・なんというか・・・そのー・・・。
ベネディクト・カンバーバッチの手って『性的』だよね?

・・・太字にしてみました。
最初のシーンは母親の胎内でうごめく胎児のイメージなんだろうけど、なんともセクシー。
あれはもういっそ「愛撫」って言っちゃっていいよね?いいよね?
JLMに比べて、BCクリーチャーはそういった性的イメージが強かった気がする。
女クリーチャーとの夢の最後のシーンも、JLMクリーチャーの時は全く気がつかなかったのに、BCクリーチャーでは「あっ!今のって・・・」とハッとするほど直接的な表現だと思ったし。
それが関係するかどうかは分からないけど、BCのほうが「成熟した生物」だなと感じました。それから「理性的な」とか「ノーブルな」とかそんな形容詞も浮かんだ。
言い換えるなら「やんちゃな末っ子」JLMクリーチャーと「思慮深い長男」BCクリーチャー。みたいな。

やんちゃな末っ子・JLMは開けっぴろげで、その感情はストレートに響いてきてとても理解しやすい。
でもね、BCは実を言うと私はよく分からなかった。
最初から最後まで頭の中で「?」が出っぱなし。ベールが一枚目の前にあるようで、その姿がはっきり見えないの。
未だになんでこんなこと感じたのか分からない。単に私の感度が悪いせい、理解力がないからなのだろうか。
それから終わってから思ったんですが、BCクリーチャーの「目」が見えなかったな、と。
見えてたけど印象が薄かった・・・?のかな。これも自分で不思議なんだけど。
本編が始まる前のメイキングでの、BCクリーチャーがヴィクターを後ろから羽交い締めにする場面。
BCの視線はヴィクターから外れてるように見えるけど、ちゃんとその視界には捉えている。
そういうのが、野生の動物のようでおもしろいなと思って、他の場面でも同じようにするのか気になったし、極力その視線を追ってたと思うんだけどなあ・・・。
JLMクリーチャーは、そんなにキラキラした目をしていていいのかクリーチャーなのに・・・って何度も思うほどその目を見てたんだけどなあ。
絶えずクリーチャーが動いてたからかなー。カメラワークのせいかなー。それともJMLより薄い瞳の色のせいかな-。

ああ!もう一回みて確かめたいよう!

印象に残らないと言えばJLMヴィクター。
なんでそんなに薄味なの・・・。
この脚本はBCヴィクターくらい灰汁が強くないと、ヴィクターっていう人物は浮き出てこないんじゃないの。なにしろヴィクターがどういった人物かが描かれている原作の前半部分をバッサリ切ってあるんだもの。
前日にインパクト大のBCヴィクターバージョンを観ているから余計にそう思うんだろうなあ。

もう少し塩を!塩を振ってください!醤油でも良いです!
そう声を大にして言いたい。こちらのバージョンについては。

BCの身体能力・表現力が素晴らしいのはあちこちで語られているから、何か言っても今更感だよね。
「ホーキング」の時から「この人天才じゃないかしら」と思ってたし。
「この筋肉が動かない時はこちらの筋肉がサポートしてこういう動きをする」っていうのを頭で理解して、さらにそのように動かすことができるんじゃないのか、彼は。
凄いね!ベネディクト・カンバーバッチ!


そして・・・そして・・・完全に蛇足ですが。

まじめに観ていたんですよ。本当です。JLMクリーチャーとはどう違うのか?
生まれ落ちたBCクリーチャーはどう・・・どう成長を・・・

あっ!危ない!
いやいや・・・ちゃんと覆ってるから大丈夫・・・。
!!
そんなに激しく動いては・・・あああああ。
カメラマンよ、なぜうつぶせの状態を後ろから、更にローアングルで撮る・・・。こぼれたらどうする・・・。見えてしまうだろうが・・・!

大体こういった心理状態で初めの部分を観ていたことを報告いたします。


フランケンシュタイン 1

「フランケンシュタイン」両バージョン観てきました。
遠かったけど、行って良かった。満足・・・。ふう・・・。

でもって、私に地団駄を踏ませたhedgehogさんのブログの記事を何度も読み返してます。
(「それは一体なんのこと?」と思う方がもしいるのなら(こんな辺鄙なところへ来る人がもしいるのなら、だね)右側のリンク先にあるブログ『First Chance to See...』で「フランケンシュタイン」の記事を読むといいよ。)

あまり人の意見に影響されちゃうのはいかんよなあ・・・とは思うんだけど、きっとhedgehogさんのブログを読まなかったしても似たような感想は持ったんじゃないだろうか。
なにしろインパクトが大きいでしょ?BC博士バージョンは。
特にクリーチャーの『Anything in the world !』のセリフの後のBCの表情。
傲慢な、驚きと怒りと羨望。そんなものが混じり合った表情。凄いよ、ベネディクト・カンバーバッチ・・・!
多分前情報がなくても、あの場面で「なんだろう、今のは」と思ったはず。クリーチャーに対してヴィクターはどうしてそんな感情を抱く必要があるのか、と。

ヴィクターだって「愛」とは何かを知っていたんだとは思うんだ。
弟が死んだら悲しむべき。肉親だから。エリザベスは愛すべき。フィアンセだから。
そんなふうに知識として「愛」を知っている。
そんな彼が、心の奥底からわき出てくるプリミティブな、人間の根源である「愛」をクリーチャーが理解していると知ったらどう思うか。

あの場面でのヴィクターから一番強く感じたのは「嫉妬」。
創造者たる自分が理解できないものを、失敗作が理解し、それを手に入れようとしている。
そんなの彼のプライドが許さないだろう。

ここで、hedgehogさんが提唱しているヴィクター「性的不能説」および「同性愛者説」についてですが、私は前者に一票。
ついでに、ヴィクターが女クリーチャーにキスする場面あるでしょ?あれ見て「なんだよ~、クリーチャーを煽ってるの~?意地悪いな~」なんて思ったんだけど、後々のこと考えると「キス止まりかよヴィクター!」とも思う。そこまでしか出来ないのかと。
はい、「不能説」にもう一票。

この後、原作だとヴィクターの中で葛藤がありつつもエリザベスとの結婚を決めるけど、舞台のほうではいきなり「結婚式をしなければ」みたいな流れになるでしょ。
これってクリーチャーによって、いかに自分が人間として不完全であるか気づき、プライドを傷つけられたヴィクターが、なんとしても自分のほうが先に完璧な人間になりたい、つまりエリザベスとの初夜を迎えたいと焦ってるのかな・・・と鑑賞中に思ったんだけど。後から考えると単にクリーチャーをおびき出すためだったのかな。だって不能だし(私の中では決定事項です)。
どちらにしろエリザベスには失礼な話だよね。初夜云々はともかくも、クリーチャーの件に関しては「餌」扱いだ。どこまで非道な男なんだ、ヴィクターは。

ところで、クリーチャーがエリザベスを襲うシーン。
匂わす程度なのかと思っていたので、衝撃的だった。そこまではっきりと描いちゃうのか!と。それだけこの舞台の中で重要なシーンなんだろう。
私はここでクリーチャーとヴィクターが、一人の人間として重なったんだと思う。
自分が創り出したものに自分を投影するのはよくあることだもの。

あれ。
もしかしたら、ヴィクターはこうなることを望んでた?勿論無意識だろうけど。
だとしたらエリザベスが本当に不憫・・・。

最後の舞台奥へと消えていく二人は、禁断の果実を食べて楽園を追われ荒野を彷徨うアダムそのものにみえた。
アダムだけ。イブはいない。死んでしまったから。
後に何も残すこともできず、アダムも死んでいくだけだ。
全く救いのない悲しい話だわ、これって・・・。
「失楽園」より酷いよね。


ところでこれまたhedgehogさんのブログからなんですけど。
"In you I found paradise. But the apple is eaten. We cannot go back"の“paradise”ってなんぞや?って話。
私もこれ気になってしまって。
でも字幕でここにあたるものってあったかな?記憶がない・・・。もしかしてこの部分の訳はすっ飛ばされていたかもしれないな。

で、私が思いますに、“paradise”は「女性」を指しているのではないでしょうか。

パラダイス=天国というより、「フランケンシュタイン」の中ではアダムとイブがいた「エデンの園」のほうを意味しているのかと思います。
「エデンの園」の中央には生命の樹と知恵の樹が植えられています。
物語の中で、知恵の樹に実っている「禁断の果実」とは、生命を創り出すと言うこと、食べたのはヴィクター。
「どうして普通の方法で子供を作ろうと思わなかったの?」とエリザベスが言うように、この「果実」は女性が元々持っているものです。
さらに、生命の樹に実っている果実を食べると永遠の命を得ます。
個の命は有限ですが、人を一つの種と考えた時、命は次へ次へとリレーされ、それは永遠と同義ではないのかと思うのです。
そして、その命を生み出すのはやはり女性です。
こうやって書くと女性そのものっていうより、子をその体内に宿し、育て、産むという女性の能力を、生命の樹と知恵の樹のあるエデンの園に見立ててるって言った方が近いか。

エリザベスの中にエデンはあるとヴィクターは気付くんだけど、もうその時にはクリーチャーを創り出してしまった。自分の手で新しい生命を産みだしてしまった。創造主である自分と、命を与えられたクリーチャーはもう元へは戻れない。
「今更何を言ってもしょうがないだろう?」そんな意味ではないかと思いましたが。
この辺のセリフの言い回しはどうでしたっけ。

どうですかー!

そして続く!
多分!



9・19

“paradise” については原作のほうに同じようなセリフがありました。見落としてたよ。
こちらは「エリザベスから得られる心の平穏」みたいな意味で使われています。

え~・・・。
人でなしのBCヴィクターはこんなこと言わないと思うな~。
結局 “paradise” って何なの・・・。





地団駄を踏む

朝からhedgehogさんのブログで「フランケンシュタイン」の考察を読む。
とてもおもしろい。
おもしろくって・・・
おもしろくって・・・
みたーい!みたいよー!と朝からhedgehogさんのところで地団駄を踏む。


どちらかと言えば、クリーチャー版を見たかった。
ベネさんの「人ではないもの」の演技を見たかったから。
この人はいったいいくつの引き出しを持ってるの?っていつも思います。
イズリントンにしても、声だけで違う次元の存在を納得させてしまう彼の演技力。素晴らしいです。そこに全身を使っての表現が乗っかるわけですから。期待してしまいます。
クリーチャーとはなんでしょうか。
人の体の寄せ集めで、人から生まれたわけではないのに、やはり人と同じ生命?
そういうものを、ベネさんがどう演じるのか見たかったわけです。

でもhedgehogさんのブログを読んで、博士のほうをみたくなりまして。
自分では気付くことなく、実は自分のほうがモンスターだったんですね、博士は。
ああ、これはこれで「人ではないもの」を演じるってことかな。


うわーん!みたいよう!
・・・と地団駄を踏んでいたらhedgehogさんから「シネリーブル池袋で9月5日~9月18日まで再上映されることが決まりましたよ」と教えていただきました。
それも両方のバージョンで。
これはいかねば、と思ったのもつかの間。
予約が3日前からしかとれない。
私、海外住まいですから・・・。
ああ・・・・。
どうすれば。
夜も地団駄地団駄。
きいいいいいっ!


見事なバッチさんのおしり。
コレが見たいがために
クリーチャー版がいいって
言ってたわけじゃないんです!
本当です!






 













こちらはしましまさんのところにもあった画像ですね。
コレ見た時、どこの王子様かと思いました。
は~、キレイ・・・。

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