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つらつらつれづれ

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大誘拐 RAINBOW KIDS




1991年に公開された『大誘拐 RAINBOW KIDS』。
昔々、確か日曜洋画劇場だったと思うんだけど、なんとなく見始めて、おや意外と面白いじゃないかと結局最後まで見てしまった。
映画が良かったので、原作の「大誘拐」(天藤 真 著)も読んで、やっぱりおもしろーーーーい!となった。

チンピラ三人組が、和歌山の山林王・柳川とし子刀自の誘拐を企てるが、彼らの要求する身代金の金額が5千万と知って刀自は怒る。
「私はやせても枯れても大柳川家の当主やで。見損のうてもろたら困るがな。きりよく百億や。それより下で取引されたら末代までの恥さらしや。ビタ一文負からんで。」
百億の身代金を手に入れるために、いつの間にやら刀自自身が先導して、警察・マスコミを相手に「柳川とし子誘拐事件」は繰り広げられていく。
・・・とストーリーは大体こんな感じ。

とにかく痛快で爽快。
悪者が誰もでてこない。誘拐事件だというのに。
おばあちゃんが警察やマスコミをきりきり舞いさせる様がもう本当に見ていて楽しいんだよねえ。小さいものが、遥かに大きなものに向かっていくっていうのはどうしてこうワクワクするんだろう。

映画版での主演は北林谷栄さん。
可愛らしくってそれでいてキリリとしていて、年を取るならこんなふうに・・・と憧れてしまうくらいステキ。あんなおばあちゃんになりたいものだ。
他にも緒方拳、樹木希林、岸部一徳と実力派が脇を固めている。
とし子刀自を誘拐するチンピラのリーダーとして風間トオルが出演しているのだけど・・・デビュー間もない頃だったんだろうね、演技のほうはゴニョゴニョ・・・。


とし子刀自が何を思って犯行に及んだか?ってところはこの作品の根源であるから、それを書いちゃうのはネタバレも甚だしいのだけれど、それを知ってもこのお話の面白さを損なうことはないと思うので書いてしまいますが。
そしてなぜ今この『大誘拐』について書いているかってことなんですが。
前回の『この世界の片隅に』から続いているのです。

とし子刀自は戦争で3人の子供を失っています。
そして自分の死期が近づいていることを悟った(ただの勘違いだったんですけどね)刀自の中に湧いてきたのは「お国への憎しみ」の感情でした。
自分が死んだら先代達が長い長い時間をかけて愛しんで育て上げた山々は、そんなものに愛情のかけらも持たない権力者に渡ってしまう。
子供を奪い、今また自分の命にも等しい山を奪おうとしている「お国」。
この誘拐劇は刀自の最初で最後の、「お国」を相手のレジスタンスだったのです。

あの時の、国の思惑に振り回された人たちの悲しみとか怒りとか、そういったものを向けるべき相手が大きすぎてどうにもならないという無力感に苛まれた『この世界の片隅に』鑑賞後、「ああそういえば」と思い出したのがこの『大誘拐』です。
ちっちゃいおばあちゃんがカッコよかったよな~、おもしろかったよな~と。
リメイクしてくれないかなと思うんですけど無理でしょうかねえ。
昭和は遠くなりにけり・・・ですもんねえ。

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この世界の片隅に




『この世界の片隅に』をみました。
なんというか、ものすごいものを見ちゃったなという感じ。

この作品は広島で生まれ呉へ嫁いだすずという女の子の日常を、柔らかな線と色合いで描いたアニメ映画です。
柔らかな線と色合いでふんわりだねえ・・・などと!思っていたら!大間違いだ!

途中から(私などは初めのほうのなんでもない日常を描いたシーンでさえ)、お腹の上のあたりから喉のほうへ何度も感情がせり上がってきてぐぎぎぃっ・・・!と歯を食いしばって見ざるを得ない映画だったのだ。おそろしい。
こんなにも何度も何度も気持ちが揺さぶられる映画は初めて。

この「ぐぎぎぃっ・・・!」の正体はなんであろうかと、映画を見終わった後に考えたんですが、なんとか言葉に表すならばそれは「理不尽さ」への怒りとか戸惑いでしょうか。
物語はすずの子供時代から18歳になって呉へ嫁いだあとまでを描いていくわけですが、その丁寧に丁寧に描かれた日常の延長線として「戦争」がある。
今の私たちからみて異常としか思えないその日常を送る人々を、突然突き放すように玉音放送が戦争の終わりを告げるのです。
抵抗しようのない暴力、怒りをぶつけようにもその相手さえも見えない。
その理不尽さに涙が溢れそうになったのかなと、気持ちが落ち着いてから思いました。


映画を見た数日はその理不尽さが強く心に残っていたのですが、この物語はそれだけじゃないよなと後から気が付きました。
(ちょっと遅いですね・・・だってすずちゃんの怒るシーンのインパクトが強かったから・・・)

映画の終わりに、周作がすずを見つけてその名前を呼びます。
戦争が終わり、何もかもが混沌として危うくなったなかで、「うちをみつけてくれてありがとう」と、すずは自分自身を、生きる場所そして意味を失うことなくまた日常に戻っていくのです。

どんなにぺちゃんこになっても、人はまた再生して生きていく強さがあるのだと、そういう話だったのだなあ・・・と思いました。
後から。
見た当日はそこのところ考える余裕がなかったんで・・・。

最後に出てきた母親とはぐれた女の子とすずの関係もまた「みつけてくれてありがとう」なのかもしれないと思いました。
そうやって人は生きていき、今の私たちに時間は繋がっている、と。

本当にたくさんの人に見てもらいたい、いつまでも心に残るであろう素晴らしい映画でした。

シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア(とワイティティ監督)




邦題があまりにもB級映画臭プンプンで、かえって気になってしまった作品です。
Huluで見られます。
原題は『WHAT WE DO IN THE SHADOWS』ですが、これは邦題のほうが内容がわかりやすい例の一つじゃないでしょうか。
ズバリ『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』に引っ掛けてのタイトルだと思いますが、2つの作品のヴァンパイアという存在の落差にも( ̄▽ ̄)ニヤリとしてしまいます。

とにかくゆるい。
ゆるい内容であるのはタイトルだけで予想がついたので、家事の合間のBGMとして流し見しよう~.・・・なんて気持ちで最初はいたんですが、これが結構見始めると面白い。ゆるいけど。

ムスメN子と見ていたのですが、私たちの最初の感想は「これ、イギリス映画かな?」でした。
今まで見たイギリス発のコメディがたまたま(?)そうだったせいで、変なシチュエーションのコメディ=イギリスという図式が私たちの頭の中に出来上がっているようです。
ちなみに『チャーリーとチョコレート工場』でも、「これイギリス?」とN子が質問してきましたが、いやいやジョニデが主演だもん、ハリウッド映画だよー・・・あっ!!原作者のロアルド・ダールがイギリス人じゃんか!やっぱりイギリス関わってるわ!ということがありましたっけ。

ということで、この作品はイギリス、ではなくてニュージーランド発。
あまりなじみのないところです。
ニュージーランドといえば、『ホビット』の撮影が行われたくらいの知識しかない・・・。
あと羊が一杯いる。
それからニュージーランド航空の機内安全ビデオがノリノリである。



このシリーズはほかにもあるんですが、毎回凝った作りですごいです。
これらからニュージーランドの人たちの国民性が垣間見える・・・というのは考えすぎ?

ストーリーはタイトルを見てわかる通り、ヴァンパイア達がシェアハウスをしている日常を密着字取材した、ドキュメンタリー風映画です。
メンバーはヴィアゴ(379歳)、ヴラド(862歳)、ディーコン(183歳)、ピーター(8000歳)。
そこにうっかりピーターが甘噛みしてしまったために仲間入りしたニックと、ニックの友人で普通の人間のステューが加わります。
ピーターのオドロオドロシイお顔は見たことがあるし(の・・・ノスフェラトゥ・・・!)、“ヴラド”で“串刺し”とくればあの人だよねえ?お二人とも性格が丸くなりましたね!やっぱり集団生活のおかげ?
なにしろヴァンパイアですから、お食事の時は血がドバドバ流れたりもしますが、ラストはとても心温まるシーンがあったり、B級臭さにスルーせずに見てよかったなと思えた映画でした。


ところでこの映画の監督で、笑顔が可愛いヴィアゴも演じているタイカ・ワイティティ氏ですが、次回の『マイティ・ソー』の監督に決定しています。
少し前にベネさんとトム・ヒドルストンのインタビュー記事で「シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイアの監督・タイカ・ワイティティ」の名前が出ていて、あまりにも私的にタイムリーな話題で驚きました。
(みたよー!この間みたばっかりだよー、トムヒぃー!←心の声)
トムヒの口からあのゆるゆるの映画のタイトルが出るとは。いやはやびっくり。

この時のインタビュー記事をdicoさんがこちらでまとめていらっしゃいます。
二人がどんなことを日々考え感じているか、英語難民には大変ありがたい記事です。
(dicoさんいつもお世話になっております。ありがとうございます。)

ワイティティ監督の作品はこれ1本しか見ていないですし、ニュージーランドではコメディアンとして有名な方らしいですが、「マーベルのヒーロー映画」を撮るにはどうなんだろう?
『マイティ・ソー』に関しては全く関心がなかったんですが、ちょっと興味が沸きました。

ちょっとどころではなく、『ゴーストバスターズ』を見たからクリス・ヘムズワースの名前もちゃんと言えるようになったし、クリヘム可愛いなって思えたし、「なんで神様なのにヒーローに混ざってんの?変なの」っていう抵抗感もコレ↓をみてソー可愛いってなったし、監督効果と合わせ技で『ラグナロク』が公開されたら劇場に足を運んでしまうな。きっと。




・・・実は!
この記事に張り付けるため上2つの動画を探したわけですが、この動画がどちらもワイティティ監督が手掛けたものであることをつい先ほど知りました。
ソーの面倒を見ている一般人のダリル、『シェアハウス~』での普通の人間ステューの立ち位置と同じだわー。
二人ともなぜ人間じゃない存在と一緒なのにそんなに淡々としているの。なぜそんなに面倒見がいいの。
この人の笑いの感覚、好きだな!
『ラグナロク』は絶対見に行こう。

でもコメディになっちゃわない?大丈夫?ちょっと心配。

シン・ゴジラ もういっちょ!

先日2回目の鑑賞!
このところ海外勢ばかりに目がいっちゃっていたけど、すっごく久しぶりに「邦画、面白い」と思いました。そしてなんだか後を引く。癖になるシン・ゴジラ。

今回はムスメN子を誘って見に行きました。
彼女の「DVD出てからでいいよう~」という、どこかで聞いたことがあるセリフを聞き流し(親子だねえ私たち)、主役をやってるのはCMでマーティンに響をプレゼンしてた人だから!・・・などと気持ちを盛り上げ半ば強引に。

ゴジラ登場シーンで、隣の席で(ひょっ)だか(ひゃぁ)だか変な声をあげるムスメ。
うん。出る。出るよね。あのゴジラは見たら声が出る。母は大人だから我慢したけど。
見終わった後、「ゴジラ、めっちゃ怖い」と大層シンプルな感想を述べるムスメ。
うん。怖い。めっちゃ怖い。

でもさー!それ以外にも感想あるでしょー!?
矢口さん、ステキ!とかさ。
そうなのだ!長谷川博己がステキなのだよ!

ヤシオリ作戦の時の、防護マスクをつけて目だけで演技をする矢口蘭堂役の長谷川博己がすごく良かった。
犠牲者が出たことを知って、一瞬眼をぎゅっと瞑る矢口。
無念さだとか、悲しみだとか、感情があふれてしまいそうなのを堪え、でも次の瞬間には強い意志を持った目で前を見据える。
ああ、もう、このシーンだけ繰り返し見たい!
そして動きの止まったゴジラを見る、祈るような眼差し。それまでの厳しい目線と全く違う。
いいなあ!目で語る長谷川博己。
ちなみに長谷川さんは39歳、身長183?180?くらい?だったかな。最近の俳優さんは背が高いね。ベネさんと同じくらいなんですよ。ふふふ~。

ケン・ワタナベとかヒロユキ・サナダに続いて、もっと日本の俳優さんが海外で活躍できたらいいのに、と思う。
前回も書いたけどこの「シン・ゴジラ」がヒットすることで、そのきっかけになればいいなあ。
もう「あんた日本人じゃないじゃん」って引っかかりながら映画を見るのは嫌なんだもん。日本人の役には日本の役者さんを使ってよう~。
若手は今後のことを考えて英語ガンバレ。

で、一回目の鑑賞の際に、「英語ガンバレ」に関して石原さとみがなかなかじゃないのと感じたのだけれど、所詮英語のできないオバサンの戯言。
喋れる友人に実際のところ彼女の発音はどうなのか聞いてみた。
友人曰く「役柄的に流暢さ重視だからペラペラだけど、単語の音がたくさん抜けている。あのくらいならコツと抑揚をプロ指導の下に練習して恥ずかしがらずにやれば誰でもできるよ」

えー・・・。
あんなに英語っぽく聞こえるのに、あれでもダメなの?音が抜けてるの?ほんと?
友人には、英語圏の人は日本人が聞こえないと思って本当は the とか for とか to とか言ってるフリしてるだけじゃないの!?と質問したことがあるんだけど。
そうかー・・・必要な音は発音してるし、してないとわかるもんなのか。

「意外なことに、ショーン・Kが子供のころ英語圏で育ったと言っていいくらい発音がいい」
えー・・・。
彼は自分にそうとう自身がありそうな性格だもんねえ。そういうところがうまくなる要因なのだろうか。


ちょっと脱線してしまいました。

ヒットしたらいいなあとは思っているけど、ダメだろうなーとも思う。
理解しづらいだろうな、と。「日本的」過ぎて。
例えば、未曾有の大災害が起きようとしている時に、対策室に運び込まれザザッ!!と並ぶ大量のコピー機。
宇宙人が攻めてくる、ハリケーンがくる、氷河期がくる、ありとあらゆる厄災に見舞われてきたこの世界(大体アメリカ)ですが、あんなふうにコピー機が運び込まれてきたのは見たことがない。
もうちょっといい例えがあるだろうにと言われそうですが、私はあそこに「日本」を感じました。
コピー機かっこいい!!よっ!世界一!

このゴジラ、1回目が面白いと思えれば、繰り返し見たくなるはず。
とにかく情報量が多くて一回だけじゃ理解し切れないし、じゃあネットで補完しましょうとなるとこれまた物凄い量のネタバレ・考察が流れてくるし、それを読んじゃうとさらに映画が面白いことに気が付くしで、無限のループにはまり込んでしまうのだ。
政治家・官僚の描かれ方がいかにリアルか、自衛隊もまた然り。
「無人在来線爆弾」なんてバカバカしく思えるものの、輸送機として特化した電車の構造ゆえに武器となった時のえげつないくらいの威力とか。
過去の日本映画の名作といわれる作品との繋がりとか。
その他諸々。

日本とか日本人とか、そこの理解があってこその面白さが倍増する映画だと思う。
ダメだ。世界的ヒット、無理っぽい!!


あと、これもまた私の叶わぬ願いなのですが。
ベネディクト・カンバーバッチ氏と野村萬斎氏に対談してもらいたい。
前半は「日英の古典芸能の比較」
後半は「いかにして私は巨大獣を演じたか/モーションキャプチャーの注意点」

ああ!アラブのお金持ちだったらなー!!

シン・ゴジラ

「シン・ゴジラ」をみました。
だってTLにおもしろーい!おもしろーい!って評判がドンドン流れてくるんですもん。

去年の春までは、つまりバッチ氏に心動かされるまでは、なんだか色々な欲望がなくなって悟りの境地のような心持になっちゃってたもんで、映画だってDVDがレンタルされたら見ればいいわー・・・って思ってたなあ。
でも、おうちでゆっくりDVD鑑賞もいいんだけど、大画面で、もしくは3Dで見ないと絶対損だって作品もあるよね。去年は「マッド・マックス」を映画館で見ればよかった!って後悔した。あと、「コードネームU.N.C.L.E」。
なので今年はそんなことのないように、心に引っかかった作品はできるだけ見に行こう!と決意したのです。
でもまさかゴジラを見に行くとは。
なんで今更ゴジラなのさ!って劇場予告を見た時は思ったのにさー。

春に見た「オデッセイ」、よくあるストーリーを盛り上げるための「ひとり抜け駆けしていい目を見ようとする人」とか「嫉妬心から他人の足を引っ張る人」とか、そんなトラブル・メーカーが全く出てこなかった。
出てくるのは「自分のすべき事をベストを尽くしてやる人たち」だけだ。
そういうった人たちの努力がラストに向かって一直線に向かっていくのが、見ていて清々しかった。

「シン・ゴジラ」もそれに近いなと思いました。
でも「オデッセイ」で活躍したNASAのエリート達よりも、もっと身近な人たちが頑張ってるって感じ。
だって舞台が東京だしね。
もちろん、中心となってリードしていくのは日本のエリート達なんだけど、彼らはもしかしたら小学校で隣のクラスだった○○君だったり、隣の老夫婦の一人娘だったりするかもしれない・・・って妄想も捗るってもんだ。
で、そういう人たちが問題解決のために黙々と行動する。「お涙頂戴」的な余計なものは一切ない。
恋愛とか家庭の危機とか、そういうのを入れたほうがいいという案があったそうだけど、庵野監督はバッサリと却下したそうな。
最初から最後までずっと肩に力入りっぱなしの緊張しっぱなしで見てたんだけど、そんな張り詰めた中に愛だの恋だのウエットなものが差し込まれなくて本当に良かった。
そんなのなくても面白いものは十分面白いんだよ!

日本で作られる「非日常」を題材とした映画等は、嘘臭さが鼻についたり説得力がなかったりで、あまり好きじゃなかった。映像のクオリティが低くて、子供騙しだな・・・と思うこともある。
前者に関しては失礼ながら、俳優さんたちの演技力不足なのか?と思ったこともあるが、全くそんなことはなかった。
しょぼいしょぼいと思っていた日本のCGも、今回は全く気にならない。
それどころかゴジラ初登場のシーンでは、心の中で(ぎょえー!)と叫んでしまったほどだ。大人なのに。声に出なくて本当に良かった。
CG技術が向上し、数多のクリーチャーが生み出され、なんだかもう目が慣れちゃったわという感じだったのに、とにかく今回のゴジラは怖くて、そしてキモチワルイのだ。

結局、作品の世界の骨組みを、これでもかというくらに緻密に、厳密に、ぎゅうぎゅうと作りこんでおけば、多少いびつなものを放り込んでも作品の中ではリアルなものとして観客は受け止めることができるってことだろうか。
庵野監督って病的に細かいことに拘る人なんじゃないのかなーって思ったんだけど、どうなんでしょうね。



それからちょっと蛇足なんだけれど、これ海外でも上映される予定でしょ?
この映画をきっかけに石原さとみの人気が出たら面白いなって思ってる。
例えば菊地凛子のほうが海外受けする顔なんだろうけど、日本人の「KAWAII」って感覚からみたら石原さとみのほうが「日本的」かなって。
でも童顔で子供みたいって思われてダメなのかしらねー、「KAWAII」は。

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