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フランケシュタイン 3

エリザベスが可愛かったなー。
愛情に溢れていて、思いやりがあって。
原作のエリザベスもヴィクターを精神的に支える魅力的な女性として描かれているけど、舞台版はちょっと押しが強くて、でもそんなところも嫌味がなく却ってチャーミングなの。
きっと頭もいい人なんだろうなあという印象。
とても良い子でヴィクターにはもったいない。特にBC版ね。

エリザベスの存在っていうのはなんだろう。
ヴィクターの人として欠けてる精神的部分のメタファー的なものかと思ったり。
そしてクリーチャーが欲していたもの(肉体的なものじゃなくてね)そのものでもあるのではないかと。

クリーチャーを受け入れたもう一人の人物である盲目の老人。
人の本来持っている「善」とか「良心」とかそういったものを連想させる存在であったけど、彼の目が見えていたらどうだったろう。
人の心は体制に流されやすいもの。老人がみせた人の「良き心」も、なんともあやふやなもののように思えるのだ。

エリザベスはクリーチャーと真正面から向き合って「友達になりましょう」と言い切る。
醜い容姿であるとともに、人の「負の感情」を写し取るようにして成長してきたクリーチャーをだ。
なんとも強くて、懐の深い女性だ。BCヴィクターには本当にもったいない。

BCクリーチャーがよく分からなくて、「あれ?あれ?」と戸惑っていたのだけれど、エリザベスの後ろ姿越しにこちらを向いたクリーチャーが許しを請う場面・・・とても印象に残っている。
ほんの一瞬の表情で、観ている側に溢れるように感情が流れてくるBCの演技にはホントに感服する。うまいっていうのはこういうことか、と。
これから彼が行おうとしていることを考えれば、どんなに言葉を尽くそうと許されることではないんだけれど。
・・・けれど、この時のクリーチャーがなんとも孤独な、高貴な存在にみえてしまったのだ。
エリザベスを手にかけることによって、その後の自分がどうなるかもすべて悟っているようにも見えた。

ヴィクターとクリーチャーは二人で一人のアダムなんだと思いながら観ていた。
そのアダムの欠けている部分を埋めるのがイブであるエリザベスなんだろう。
でも、アダムはイブを拒絶する。
アダムはイブに林檎を分け与えもしなかった。



あれー・・・。
ヴィクターとクリーチャー目線ではしましまさん・hedgehogさんのコメントにある「ある意味ハッピーエンド」な物語で納得できるのに、エリザベスが入ってくるとどうしようもない「悲劇」になっちゃうなー。
あれー・・・。

そして全編を通してみるとBCヴィクターに関しては、「不能説」「同性愛説」に加えて「自己愛性パーソナリティ障害」の疑いもあるのではないかと思うのですがどうでしょう。




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