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無題

夏休みの宿題、おつかれさまでした。読ませてもらう側の私はラクしてトクしました。ありがとうございます。

私は、ナショナル・シアター・ライヴ2014として上映されたR・キニア主演の「ハムレット」も観たのですが、こちらは脚本の構成はそのままに、でも現代に時制を移した演出と演技が、見事なまでに脚本が内包する(と私が思う)矛盾や無理をフォローしていてすごくおもしろかったです。あーー、ベネディクトのハムレットが早く観たいっ!

無題

そのお話をもうちょっと詳しく!

結局、ハムレットのセリフを抜き出したのしか読んでないですから、私。
上っ面の感想ですからね。
だらだらとのーみそから溢れちゃったのを書いただけなんで正直恥ずかしい内容ですよ。 

ぜひ、ブログの方に書いてください!
フランケンのも面白かったし、ためになりましたもん。

無題

R・キニアの「ハムレット」の感想、ざっくりとですけど書いてました。良かったら是非♡
http://ameblo.jp/hedgehog42/entry-11934655298.html

無題

読みますとも!明日仕事休みなのでゆっくりと。

ところでどうだと言わんばかりに書いたこの記事、間違ってましたよ!
修正しないと~。恥ずかしいわ~。

ハムレット 4

だんだん「ハムレットのけんきゅう」みたいになってきたな・・・。


思うに「be」ってさ、とんでもなく大きい意味が含まれているんじゃないかな。
「sister」が一言で表せないどころの問題じゃなく。
「be」の中には『神が存在して、世界が成り立ち、その一番端っこに自分』ってくらいのでっかいものが潜んでいるんじゃないか。
時代はずれるが、例えばジャンヌ・ダルクが神の啓示を受けてフランスを勝利に導いた、なんてことが起こるほどに、人々は神と共にあった。
そういう世界観とか時代とか宗教とか、そんなものをひっくるめたものが背景にありきの「be動詞」じゃあないのかしら?と。

イメージ、分かってもらえますかねえ・・・。


なぜそう思ったかというと、レアティーズとの剣の試合の前のセリフ『Let be.』から連想されたから。
「ほっといてくれ」とか「もう言うな」とか訳されているけど、これ『Let it be.』と同じじゃないの?
「神の思し召しのままに」ってことじゃないの?って思ったわけで。  

天使ガブリエルより神の子を身ごもったと告げられたときの聖母マリアの言葉の中に『let it be』。
"And Mary said, "Behold, I am the servant of the Lord; let it be to me according to your word." And the angel departed from her." 

そしてハムレットのセリフに『Let be.』。
Not a whit, we defy augury: there's a special providence in the fall of a sparrow.
If it be now, 'tis not to come; if it be not to come, it will be now; if it be not now, yet it will come: the readiness is all: since no man has aught of what he leaves, what is't to leave betimes?
Let be.

小さな雀の死にも神の意志が働いている。それがいつ自分の身にやってくるかは分からないが、覚悟はしておかねばならない。
すべては神の思し召し。

人が生まれること、死ぬこと。
こればっかりは自分の意思でなんとかなることじゃない。
神の領域だからね。
今、会話の中で『Let it be.』と出て来ても、その意味するところは当時とは深さが違うんじゃないかな。
ああ、自殺がNGっていうのは、「死」は神が決めることだから?人がそこに介入しちゃダメってことかね。




ちょうどシェイクスピアが生きていた頃は、中世から近代へ移り変わるはざまの時代だった。
「自我」というもののとらえ方もそう。今とこの頃とではその意味するところは違う。
中世的自我とは、神とともにあり、神と繋がることで存在する。
それに対し、近代的自我は神から独立した存在を意味する。
東京大学大学院教授 河合祥一郎氏が「ハムレット」を解説した文の中で、「神とともにある中世から近代へと移り変わってゆくなかで、作者であるシェイクスピア自身も揺れ動いていて、熱情(passion)のなかで生きるという中世的な生き方と、理性(reason)で考えて生きるという近代的な生き方のはざまで揺れているのです。」と書いている。

『To be, or not to be』
もしこれが「わたし」の存在を問うものなら、それは「わたしは、神とともにあるわたしなのか、そうではないわたしなのか」という意味か。
シェイクスピアの揺らぎがハムレットの言葉として語られているのではないだろうか。

二つのアイデンティティーに迷いながら、そして最後にハムレットは言う。『Let be.』と。
すべては神の配慮によって起こっているのだ、と結論づける。


よし!夏休みの宿題として提出しようっと。(どこに?)



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夏休みの宿題、おつかれさまでした。読ませてもらう側の私はラクしてトクしました。ありがとうございます。

私は、ナショナル・シアター・ライヴ2014として上映されたR・キニア主演の「ハムレット」も観たのですが、こちらは脚本の構成はそのままに、でも現代に時制を移した演出と演技が、見事なまでに脚本が内包する(と私が思う)矛盾や無理をフォローしていてすごくおもしろかったです。あーー、ベネディクトのハムレットが早く観たいっ!

無題

そのお話をもうちょっと詳しく!

結局、ハムレットのセリフを抜き出したのしか読んでないですから、私。
上っ面の感想ですからね。
だらだらとのーみそから溢れちゃったのを書いただけなんで正直恥ずかしい内容ですよ。 

ぜひ、ブログの方に書いてください!
フランケンのも面白かったし、ためになりましたもん。

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R・キニアの「ハムレット」の感想、ざっくりとですけど書いてました。良かったら是非♡
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読みますとも!明日仕事休みなのでゆっくりと。

ところでどうだと言わんばかりに書いたこの記事、間違ってましたよ!
修正しないと~。恥ずかしいわ~。

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