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つらつらつれづれ

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ハムレット 特別先行上映 1

難しいことは評論家が言えばいいのだ。
でも単純に一人の観客が「おもしろい!」って言うのも作品の評価として大事でしょ?
なので私は声を大にして言いたい。

ハムレット、おもしろいんだよー!
なんだよー全然つまらなくないよー!スゴいよー!
セリフが全然分からないのにおもしろいってどういうことだー!

舞台が終わった時、バービカンのお客さん達が拍手をするんだけれど、私も一緒に拍手したかった。
恥ずかしがらずにすれば良かったね。ちょっと後悔してる。


さて、時間ができたらもうちょっと感想みたいのを書きたいです。
たぶんつづく・・・はず。

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ハムレット 8

私が持っている「ハムレット」は新潮社文庫の福田恒在訳のもの。
亡霊が「父の頼みを忘れるな」と言い残し消え去った後の、ハムレットのセリフの一部にこう書かれている。
    『哀れなやつ、心配するな、このひっくりかえされた玩具箱のなかに、
            すこしでも記憶力の落ちつく余地のあるかぎり大丈夫だ。』
     
     Ay, thou poor ghost, while memory holds a seat In this distracted globe.

先に日本語訳のほうを読んでいたので「ひっくりかえされた玩具箱」は「toy box」とかそういった単語がくるのかなあと思っていた。
そうしたら原文では「distracted globe」だったので、かなりの意訳がされているのが分かってビックリ。少し調べてみたけど、「distracted globe」に「玩具箱」を連想させるような意味はない・・・と思う。多分。
普通に「混乱した頭」で良かったんじゃないですか、福田先生。と質問してみたいところだ。


しかし「玩具箱」と言えば、スチールだとかトレイラー等の動画で見られる「おもちゃの兵隊」を彷彿とさせるベネレットの衣装を連想してしまうのだけれど。
これは偶然なのか?それとも「distracted globe」には「玩具箱」的な意味があるの?かな?

それだけじゃなくて、亡霊が去って、ホレイショー達に今夜のことを口外しないよう誓わせるシーンで、ベネレットは階段の下から大きな箱を引っ張り出す。
コレを見た時はまだ原文を読んでいなかったので、ここで「あれ?玩具箱?」と思ったわけだけど、よく見ればこれは衣装箱って言った方が近いかな。





ひっくりかえされた玩具箱・・・ではなく衣装箱のようなものから取り出した上着を着せかけるのはオフィーリアなんだよねえ。
この衣装はベネレットの「狂気」を表しているんだと思うんだけど、オフィーリアが、ってところに意味はあるのかなあ。




「Words, words, words.」のシーン。

「ハムレット」の年齢は、最初は19才くらいでオフィーリアの墓のシーンあたりでは30才らしい。
この辺の「一気に年を取るハムレット」については諸説あるらしいが、私はあまり気にならない。人が感じる時間は人それぞれ違うと思っているので。
それよりも、最初の「19才」のほうがねえ。
ガートルードへのマザコン気味の愛情だとか、オフィーリアへの態度だとか、ワーワー言う割に行動に移せない不甲斐なさだとか、そういったものはハムレットがせいぜい16,17才くらいの男の子だったら納得がいくんだけどなあ。

なので、まるでおもちゃの兵隊のような格好を、ベネレットの「狂気」として具現化したのは、彼が未熟な子供の部分を持った男であるというのを観客により分かりやすくする演出なのかなと思う。
最初は帽子もかぶってキッチリ着込んでいた衣装も、心の成長とともに脱いでいく・・とかね。
あくまでも断片をみた限りの予想ですけども。

この辺の衣装の変化とベネレットの内面の変化に注目して鑑賞したい・・・と思っていますが、集中力が続くかどうか。




ハムレット 7

ミニオンズが可愛かったり、強化合宿が催されたり、フランケンシュタインだったり、何かと忙しくて後回しになっていましたが、テナント版「ハムレット」を観ました!!
hedgehogさん貸してくださってありがとうございます!!

私にとって二人目のハムレットなんですが、こうやって比較してみるとやはり藤原ハムレットは若い。若さ故の率直さが彼を突き動かしていたんだな~。
さて次はテナントハムレットについて感想を・・・と思っていたらしましまさんがベン・ウィショー版ハムレットについてブログに書かれていました。

その感想を書いた記事の中に「当時の照明ではほとんど役者や舞台美術は今の舞台上のようには見えなかったため、その分を説明で補う台詞が長い」という説明がありました。
これを読んで目から鱗が!
というか、当たり前の前提をすっかり忘れていたわ~私。

「ハムレット」は舞台劇なのだ。
映画やドラマとは違って、目の前に観客がいて、箱みたいに限られたスペースで演じる。
オフィーリアの墓でのシーンの後、イギリス行きの船に乗せられてたハムレットがどのように戻ってきたかをホレイショーに説明しだす。
「唐突だなー」と違和感を感じていたけど、これ観客に対しての説明なんだね?
なるほどなるほど。いやーすっきりした。

そして、私がハムレットを観るに当たってどうしても納得いかなかったこれまたオフィーリアの墓のシーンからその後の展開。
彼女の死を悲しんでいたはずなのに、その後のハムレットは全くそれについて触れない。
オズリックと平然と話をして、レアティーズとの剣の試合の申し込みを受ける。そしていざレアティーズと顔を合わせると「狂気が悪いんであってボクが悪いわけじゃないんだから今までのことは許してね」と言う。

なにこれキモチワルイ。
納得いかなーい!
藤原ハムレットの時はなんとか理由をつけて自分を納得させたさ!
テナントハムレットなら何とかしてくれる・・・そう思ったけど・・・お前もか!テナントハムレット。オフィーリアのこと愛してないのか!


けれども、これはお芝居なのだ。
目の前の観客の心に、悲しみとか、笑いとか、ワクワクドキドキした気持ちを湧き起こさせるのが先決ではないのか。矛盾なんかちょっとくらい脇に置いてしまって。
目から鱗が落ちた私はそう思う。


さてそこで、すごく乱暴なこと言いますよ、私。

ハムレットはドリフのコントである

怒られそうですね。まじめなシェイクスピアファンに。

つまり、どんなに志村の後ろに賊が近づこうとも、観ている観客は「どうして毎回毎回志村は気付かないのか」とは思わない。
「しむらー!うしろうしろー!」とわあわあきゃあきゃあ言って楽しむ。それがお約束。
「ハムレット」もそういう見方でいいんじゃないのか。
ハムレットがいつまで経っても復讐を果たさないっていういけど、さっさと終わらせちゃったら話が続かないじゃないの。
観客は剣を納めるハムレットを見て、ほっと胸をなで下ろし、その後の話の展開をワクワクして待てばいいのではないの?
細かいことは言わずに楽しめば良いのだ。「しむらーうしろー!」って言いながら。


ところで、新潮文庫版の「ハムレット」を読んでいて不思議に思ったところがある。
これは戯曲なので、それぞれ誰のセリフなのかが分かるように名前が上に書かれている。
オフィーリアの墓を掘っているのは「墓堀」でいいはずなのに、彼らは「第一の道化」「第二の道化」なのだ。
「道化師」については『舞台演劇においての宮廷道化師は、右往左往する貴族達をからかい、観客を楽しませる道化役であると同時に 物語に深く立ち入らずに登場人物に干渉する事で、観客を物語に引き込みつつ物語を客観視させるという ある意味、最も重要な役割を担っていると言える』と書かれたものがあった。

ここだけポッカリと別の次元のようなのだ。ハムレットと道化達の会話の場面だけ。
お芝居というものがまず観客ありきのものならば、そして道化の役割が上記のようなものならば、この場面は芝居の終わりに向かっての「タメ」みたいなものなんじゃないの?
もしくは主役と道化によるクライマックスへ向かっての前振り。

さあさあ!お客さんがた。
死んだらみんな穴に埋められて、掘り起こされれば誰であろうとただの頭蓋骨。
そこのところを覚えておいて。これ大事だからね。
この後何が起こるかちゃんと見ておきな。
ここからクライマックスなんだから。用意はいいかい?

・・・と。

そんなふうに考えたら、ハムレットの死も、王や王妃の死も、みんな同じなんだね。
アレクサンダー大王だって、死んでしまった後は酒樽の栓になってるかもしれない。
悩みに悩んだハムレットは、その悩みが大きかった分なんだか滑稽ですらある。死んじゃってみんなと同じ骨になるのに。

「ハムレット」は王子とその周りの人間達が破滅していく悲劇であり、青年が成長する物語であり、作者のシェイクスピアがその時代の揺らぎを反映させた物語である。

そして実はとっても皮肉な「喜劇」でもある・・・というのは穿ち過ぎかしらねえ。

National Theatre Live: Hamlet (Barbican) trailer




本当にバッチさんは声が素敵だなー。
これまた今まで観た(と言っても二つだけど)ハムレットとは違う感じですね。
テナントハムレットをみてから、私にはシェイクスピアは敷居が高いかもしれない・・・とちょっとくじけそうになってたけど、やっぱりベネレット観てみたいなあ。
日本公開が待ち遠しいです。

Christopher & ハムレット 6 

ベネさんの息子さんの名前が発表されましたね。
『Christopher Carlton Cumberbatch』6月1日がお誕生日。
ちょうど3ヶ月。どんどん可愛くなっていくところだな~。お父さんメロメロだろうなあ。
「パレーズ・エンド」でベネさんの演じた人物が「クリストファー」だそうですが、こちらはまだ見ていないので、まず頭に浮かんだのは「イミテーション・ゲーム」のほう。
どちらにしてもこの名前はベネさんにとってなにかしら思い入れのある名前なんでしょうか。

すごく上品な、貴族的な名前ですてき・・・なーんて思って画像検索したらBTFのドクが出てくる・・・。クリストファー・ロイド。それからクリストファー・リー。概ねおじいちゃん。
「クリストファー」という響きから、ガラス細工のような少年を思い浮かべてたんだけど、この私のイメージは一体どこからきたのだろうか。
竹宮恵子とか萩尾望都とか、クリストファーが出てくるマンガって描いてなかったっけ。


それにしても親子して長い名前だよね!

   



 若かりし頃の
 ジジbatchとパパbatch。
 
 ここにマゴbatchが
 加わります。
 きっとすっごく
 可愛い男の子!














さて「ハムレット」。その評価は分かれている模様。
低評価ばかりは困るけど、高評価ばかりなのも完璧すぎてつまんない。
なので今回のベネレットの「ここはいいけど、ここはダメ」みたいなのの方が、鑑賞する側としては興味を惹かれるのではないかと思ったり。あくまでも個人的な意見ですが。

いくつか出てる劇評で気になったのが、「5つ星のハムレットが、3つ星のショーのなかに閉じ込められている」というもの。
ベネさんの演技は素晴らしい!けど演出その他が・・・ってことのよう。

ベネレットを見てきた人たちの感想で「わかりやすい」というのをよく目にする。
この「わかりやすい」を大事にするあまり、他の所を犠牲にせざるを得なかったのか?評価がバラバラなのもこれが原因?とちょっと心配になってしまった。
ベネさん本人はそれを納得してるのかなあと。
もっと玄人好みの、ガッチガチの(って変な言い回し・・・)「シェイクスピアでございます!」っていうのをやりたかったんじゃないのかなあと。

そんなふうに思ってたんですが、たまにお邪魔させていただいてるブログで、以前ベネさんが「シェイクスピアを見た事がない人や、劇場に来た事がない人に見てもらいたい」とインタビューで答えていたというのを教えていただきました。

だとしたら、今回の「ハムレット」はまさにベネさんがやりたかった「ハムレット」なのか。
「ベネディクト・カンバーバッチがやるから見たい」と思って、今回バービカンまで足を運んだ人は大勢いるだろうけど、そこからシェイクスピアの作品に興味を持ったり、舞台に興味を持つ人がいるかもしれない。
そういうふうに作られた「ハムレット」なのだろうか。
かく言う私も初シェイクスピアだしね。
予備知識なしで見ては、舞台を作った人たちに申し訳なくて、本を読んだり過去のハムレットを見たりしてる。
まんまとベネさんの思惑に嵌まってしまっている。
まだ「うわー、ハムレットっておもしろい~」という境地までは到達してないけど。
いつかそう思えたらいいなあ。
ベネレットを見たらそう思えるかな?

そして多くの人に見てもらいたい、という意向があるならば、ぜひDVD化も考えて欲しいよね!


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