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National Theatre Live: Hamlet (Barbican) trailer




本当にバッチさんは声が素敵だなー。
これまた今まで観た(と言っても二つだけど)ハムレットとは違う感じですね。
テナントハムレットをみてから、私にはシェイクスピアは敷居が高いかもしれない・・・とちょっとくじけそうになってたけど、やっぱりベネレット観てみたいなあ。
日本公開が待ち遠しいです。
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フランケシュタイン 3

エリザベスが可愛かったなー。
愛情に溢れていて、思いやりがあって。
原作のエリザベスもヴィクターを精神的に支える魅力的な女性として描かれているけど、舞台版はちょっと押しが強くて、でもそんなところも嫌味がなく却ってチャーミングなの。
きっと頭もいい人なんだろうなあという印象。
とても良い子でヴィクターにはもったいない。特にBC版ね。

エリザベスの存在っていうのはなんだろう。
ヴィクターの人として欠けてる精神的部分のメタファー的なものかと思ったり。
そしてクリーチャーが欲していたもの(肉体的なものじゃなくてね)そのものでもあるのではないかと。

クリーチャーを受け入れたもう一人の人物である盲目の老人。
人の本来持っている「善」とか「良心」とかそういったものを連想させる存在であったけど、彼の目が見えていたらどうだったろう。
人の心は体制に流されやすいもの。老人がみせた人の「良き心」も、なんともあやふやなもののように思えるのだ。

エリザベスはクリーチャーと真正面から向き合って「友達になりましょう」と言い切る。
醜い容姿であるとともに、人の「負の感情」を写し取るようにして成長してきたクリーチャーをだ。
なんとも強くて、懐の深い女性だ。BCヴィクターには本当にもったいない。

BCクリーチャーがよく分からなくて、「あれ?あれ?」と戸惑っていたのだけれど、エリザベスの後ろ姿越しにこちらを向いたクリーチャーが許しを請う場面・・・とても印象に残っている。
ほんの一瞬の表情で、観ている側に溢れるように感情が流れてくるBCの演技にはホントに感服する。うまいっていうのはこういうことか、と。
これから彼が行おうとしていることを考えれば、どんなに言葉を尽くそうと許されることではないんだけれど。
・・・けれど、この時のクリーチャーがなんとも孤独な、高貴な存在にみえてしまったのだ。
エリザベスを手にかけることによって、その後の自分がどうなるかもすべて悟っているようにも見えた。

ヴィクターとクリーチャーは二人で一人のアダムなんだと思いながら観ていた。
そのアダムの欠けている部分を埋めるのがイブであるエリザベスなんだろう。
でも、アダムはイブを拒絶する。
アダムはイブに林檎を分け与えもしなかった。



あれー・・・。
ヴィクターとクリーチャー目線ではしましまさん・hedgehogさんのコメントにある「ある意味ハッピーエンド」な物語で納得できるのに、エリザベスが入ってくるとどうしようもない「悲劇」になっちゃうなー。
あれー・・・。

そして全編を通してみるとBCヴィクターに関しては、「不能説」「同性愛説」に加えて「自己愛性パーソナリティ障害」の疑いもあるのではないかと思うのですがどうでしょう。




London Fashion Week - Burberry



スーツ姿が多いので、こんな感じのニットを着ていると「おっ!」と思ってしまう。
好きなんですよ~、バッチさんのニット。
糸のほそーい上質な薄手ので、できれば中には白いシャツでお願いしたい。
でも今回はトレンチだから、襟付きシャツを着ちゃうとバランスがおかしくなるのね、たぶん・・・残念。

全身が写っている画像を探すとどうしても嫁が一緒についてくる。
でも最近はちょっと可愛い気がしてきたからまあいいや。子供が生まれてから険しさみたいのが薄れた気がするんだよね。
バランスの取れた素敵なカップルだな・・・と思えるようになった。

痩せたんじゃないかな?と思ってたけど、意外とそうでもないよね。
元気そうだ。良かった。
舞台はあと一月ちょっと?
このまま体調に気をつけて舞台を無事に終わることを願ってます。



フランケンシュタイン 2

生まれたてのクリーチャーがあまりにも赤ん坊そのものだったから、見捨てたヴィクターに「自分で作ったものに責任を持てよ!」と原作を読みながらそれはそれは腹が立った。
そして舞台上のJLMクリーチャーは、原作の通り無垢な赤ん坊だった。
多少不気味な容姿ではあっても、生まれ落ちた時から徐々に成長していく過程を見ていたらそりゃあ情も湧くよね。可愛くすら見えてくる。
おまけに創造主のヴィクターが人でなしだから、その対比で余計にJLMクリーチャーが哀れに思える。観ている側は容易にその心に寄り添うことができる。

そしてBCクリーチャーなんですけど・・・。
あのー・・・なんというか・・・そのー・・・。
ベネディクト・カンバーバッチの手って『性的』だよね?

・・・太字にしてみました。
最初のシーンは母親の胎内でうごめく胎児のイメージなんだろうけど、なんともセクシー。
あれはもういっそ「愛撫」って言っちゃっていいよね?いいよね?
JLMに比べて、BCクリーチャーはそういった性的イメージが強かった気がする。
女クリーチャーとの夢の最後のシーンも、JLMクリーチャーの時は全く気がつかなかったのに、BCクリーチャーでは「あっ!今のって・・・」とハッとするほど直接的な表現だと思ったし。
それが関係するかどうかは分からないけど、BCのほうが「成熟した生物」だなと感じました。それから「理性的な」とか「ノーブルな」とかそんな形容詞も浮かんだ。
言い換えるなら「やんちゃな末っ子」JLMクリーチャーと「思慮深い長男」BCクリーチャー。みたいな。

やんちゃな末っ子・JLMは開けっぴろげで、その感情はストレートに響いてきてとても理解しやすい。
でもね、BCは実を言うと私はよく分からなかった。
最初から最後まで頭の中で「?」が出っぱなし。ベールが一枚目の前にあるようで、その姿がはっきり見えないの。
未だになんでこんなこと感じたのか分からない。単に私の感度が悪いせい、理解力がないからなのだろうか。
それから終わってから思ったんですが、BCクリーチャーの「目」が見えなかったな、と。
見えてたけど印象が薄かった・・・?のかな。これも自分で不思議なんだけど。
本編が始まる前のメイキングでの、BCクリーチャーがヴィクターを後ろから羽交い締めにする場面。
BCの視線はヴィクターから外れてるように見えるけど、ちゃんとその視界には捉えている。
そういうのが、野生の動物のようでおもしろいなと思って、他の場面でも同じようにするのか気になったし、極力その視線を追ってたと思うんだけどなあ・・・。
JLMクリーチャーは、そんなにキラキラした目をしていていいのかクリーチャーなのに・・・って何度も思うほどその目を見てたんだけどなあ。
絶えずクリーチャーが動いてたからかなー。カメラワークのせいかなー。それともJMLより薄い瞳の色のせいかな-。

ああ!もう一回みて確かめたいよう!

印象に残らないと言えばJLMヴィクター。
なんでそんなに薄味なの・・・。
この脚本はBCヴィクターくらい灰汁が強くないと、ヴィクターっていう人物は浮き出てこないんじゃないの。なにしろヴィクターがどういった人物かが描かれている原作の前半部分をバッサリ切ってあるんだもの。
前日にインパクト大のBCヴィクターバージョンを観ているから余計にそう思うんだろうなあ。

もう少し塩を!塩を振ってください!醤油でも良いです!
そう声を大にして言いたい。こちらのバージョンについては。

BCの身体能力・表現力が素晴らしいのはあちこちで語られているから、何か言っても今更感だよね。
「ホーキング」の時から「この人天才じゃないかしら」と思ってたし。
「この筋肉が動かない時はこちらの筋肉がサポートしてこういう動きをする」っていうのを頭で理解して、さらにそのように動かすことができるんじゃないのか、彼は。
凄いね!ベネディクト・カンバーバッチ!


そして・・・そして・・・完全に蛇足ですが。

まじめに観ていたんですよ。本当です。JLMクリーチャーとはどう違うのか?
生まれ落ちたBCクリーチャーはどう・・・どう成長を・・・

あっ!危ない!
いやいや・・・ちゃんと覆ってるから大丈夫・・・。
!!
そんなに激しく動いては・・・あああああ。
カメラマンよ、なぜうつぶせの状態を後ろから、更にローアングルで撮る・・・。こぼれたらどうする・・・。見えてしまうだろうが・・・!

大体こういった心理状態で初めの部分を観ていたことを報告いたします。


フランケンシュタイン 1

「フランケンシュタイン」両バージョン観てきました。
遠かったけど、行って良かった。満足・・・。ふう・・・。

でもって、私に地団駄を踏ませたhedgehogさんのブログの記事を何度も読み返してます。
(「それは一体なんのこと?」と思う方がもしいるのなら(こんな辺鄙なところへ来る人がもしいるのなら、だね)右側のリンク先にあるブログ『First Chance to See...』で「フランケンシュタイン」の記事を読むといいよ。)

あまり人の意見に影響されちゃうのはいかんよなあ・・・とは思うんだけど、きっとhedgehogさんのブログを読まなかったしても似たような感想は持ったんじゃないだろうか。
なにしろインパクトが大きいでしょ?BC博士バージョンは。
特にクリーチャーの『Anything in the world !』のセリフの後のBCの表情。
傲慢な、驚きと怒りと羨望。そんなものが混じり合った表情。凄いよ、ベネディクト・カンバーバッチ・・・!
多分前情報がなくても、あの場面で「なんだろう、今のは」と思ったはず。クリーチャーに対してヴィクターはどうしてそんな感情を抱く必要があるのか、と。

ヴィクターだって「愛」とは何かを知っていたんだとは思うんだ。
弟が死んだら悲しむべき。肉親だから。エリザベスは愛すべき。フィアンセだから。
そんなふうに知識として「愛」を知っている。
そんな彼が、心の奥底からわき出てくるプリミティブな、人間の根源である「愛」をクリーチャーが理解していると知ったらどう思うか。

あの場面でのヴィクターから一番強く感じたのは「嫉妬」。
創造者たる自分が理解できないものを、失敗作が理解し、それを手に入れようとしている。
そんなの彼のプライドが許さないだろう。

ここで、hedgehogさんが提唱しているヴィクター「性的不能説」および「同性愛者説」についてですが、私は前者に一票。
ついでに、ヴィクターが女クリーチャーにキスする場面あるでしょ?あれ見て「なんだよ~、クリーチャーを煽ってるの~?意地悪いな~」なんて思ったんだけど、後々のこと考えると「キス止まりかよヴィクター!」とも思う。そこまでしか出来ないのかと。
はい、「不能説」にもう一票。

この後、原作だとヴィクターの中で葛藤がありつつもエリザベスとの結婚を決めるけど、舞台のほうではいきなり「結婚式をしなければ」みたいな流れになるでしょ。
これってクリーチャーによって、いかに自分が人間として不完全であるか気づき、プライドを傷つけられたヴィクターが、なんとしても自分のほうが先に完璧な人間になりたい、つまりエリザベスとの初夜を迎えたいと焦ってるのかな・・・と鑑賞中に思ったんだけど。後から考えると単にクリーチャーをおびき出すためだったのかな。だって不能だし(私の中では決定事項です)。
どちらにしろエリザベスには失礼な話だよね。初夜云々はともかくも、クリーチャーの件に関しては「餌」扱いだ。どこまで非道な男なんだ、ヴィクターは。

ところで、クリーチャーがエリザベスを襲うシーン。
匂わす程度なのかと思っていたので、衝撃的だった。そこまではっきりと描いちゃうのか!と。それだけこの舞台の中で重要なシーンなんだろう。
私はここでクリーチャーとヴィクターが、一人の人間として重なったんだと思う。
自分が創り出したものに自分を投影するのはよくあることだもの。

あれ。
もしかしたら、ヴィクターはこうなることを望んでた?勿論無意識だろうけど。
だとしたらエリザベスが本当に不憫・・・。

最後の舞台奥へと消えていく二人は、禁断の果実を食べて楽園を追われ荒野を彷徨うアダムそのものにみえた。
アダムだけ。イブはいない。死んでしまったから。
後に何も残すこともできず、アダムも死んでいくだけだ。
全く救いのない悲しい話だわ、これって・・・。
「失楽園」より酷いよね。


ところでこれまたhedgehogさんのブログからなんですけど。
"In you I found paradise. But the apple is eaten. We cannot go back"の“paradise”ってなんぞや?って話。
私もこれ気になってしまって。
でも字幕でここにあたるものってあったかな?記憶がない・・・。もしかしてこの部分の訳はすっ飛ばされていたかもしれないな。

で、私が思いますに、“paradise”は「女性」を指しているのではないでしょうか。

パラダイス=天国というより、「フランケンシュタイン」の中ではアダムとイブがいた「エデンの園」のほうを意味しているのかと思います。
「エデンの園」の中央には生命の樹と知恵の樹が植えられています。
物語の中で、知恵の樹に実っている「禁断の果実」とは、生命を創り出すと言うこと、食べたのはヴィクター。
「どうして普通の方法で子供を作ろうと思わなかったの?」とエリザベスが言うように、この「果実」は女性が元々持っているものです。
さらに、生命の樹に実っている果実を食べると永遠の命を得ます。
個の命は有限ですが、人を一つの種と考えた時、命は次へ次へとリレーされ、それは永遠と同義ではないのかと思うのです。
そして、その命を生み出すのはやはり女性です。
こうやって書くと女性そのものっていうより、子をその体内に宿し、育て、産むという女性の能力を、生命の樹と知恵の樹のあるエデンの園に見立ててるって言った方が近いか。

エリザベスの中にエデンはあるとヴィクターは気付くんだけど、もうその時にはクリーチャーを創り出してしまった。自分の手で新しい生命を産みだしてしまった。創造主である自分と、命を与えられたクリーチャーはもう元へは戻れない。
「今更何を言ってもしょうがないだろう?」そんな意味ではないかと思いましたが。
この辺のセリフの言い回しはどうでしたっけ。

どうですかー!

そして続く!
多分!



9・19

“paradise” については原作のほうに同じようなセリフがありました。見落としてたよ。
こちらは「エリザベスから得られる心の平穏」みたいな意味で使われています。

え~・・・。
人でなしのBCヴィクターはこんなこと言わないと思うな~。
結局 “paradise” って何なの・・・。





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