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キングスマン




この時期忙しいもんでなかなか家から出られなくて「早く行かないと終わっちゃうよ!」とヤキモキしていたけど、ギリギリセーフで間に合った「キングスマン」。

原作・監督が「キック・アス」と同じ人ということで、「グロいかも・・・」とちょっと躊躇していたんですが杞憂でした。
面白かったねー!これは好きだなー。
確かにグロい描写はあるんだけど、それよりもおかしさが先になって全然気にならない。笑ったら不謹慎かな?・・・とは思っちゃったけど、でも面白いんだもん。悪ふざけのようでもあるけど、ここまで突き抜けてしまうともう爽やかささえ感じてしまう。こういうのがイギリスのブラック・ジョークなの?
「キック・アス」はグロい上に痛い描写が多くて見るのが苦痛だった。どうやら私的には「グロい」よりも「痛い」のがダメみたい。

「キック・アス」はしんどくてもう一度見ようとは思わないんだけど、ヒット・ガールのアクション・シーンは別だ。あそこだけは何度もリピートして見たくなる。
「キングスマン」でもやはりアクションが素晴らしかった。
教会でのハリーが格好いい・・・っていうとやっぱり不謹慎かしら、と思うんだけど格好いいものはしょうがない。あのシーンはワンショットで撮られているのかな?コリン・ファース凄いな~。
オジサンとか女の子とかの意外性のあるアクションって大好き。
ガゼルも格好良かった!


どうやら続編が作られるようだけど、日本が舞台になるシーンもあるとか。
コリン・ファースも再登場しそう。頭を撃たれた後、ハリーの死を確認するようなシーンがなかったから「もしかして生きてるんじゃない?」って思っていたので、もしそうなら嬉しい。
「キングスマン」を見た後、無性にコリン・ファースが見たくてたまらない。
「英国王のスピーチ」をレンタルしてこようかな。


ところで。
ジェイソン・ボーン『J.B』の名前は、ジェームズ・ボンド『J.B』のオマージュか何かかと思っていたけど、ジャック・バウアーも『J.B』なのは気がつかなかったわ~。
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ワールズ・エンド 酔っ払いが世界を救う!




シャーロックと機長とバッチさんと、そしてマーティン好きのNのリクエストで「ワールズ・エンド 酔っ払いが世界を救う!」を見ました。

いい年をした男達が、昔成し遂げられなかった12件のパブのハシゴを成功させるべく故郷へ帰るが、そこはいつの間にか異星人に乗っ取られていた!っていうね・・・。
ストーリーのあらすじは知っていたけれども。

ああ、サイモン・ペグって、大人になりきれないだらしない男がよく似合うなあ(茶碗を洗う)、マーティンのとってつけたような笑顔がナイスだわ~(テーブルを拭く)。
そして・・・コーヒーを入れてソファに腰を落ち着けたところでいきなりSFアクション映画になる。

本当にいきなりだな!
多分時間的にはここまでで全体の3分の1ほど。
なにか私見逃した!?
異星人が出るのは知ってたけど、こうなる前触れのようなもの・・・あったのか?片付けしてて見逃したの?
でもこのノリ嫌いじゃない。

やけにアクションの切れがいい。見ていてとても綺麗。酔っ払いのケンカなのに。
そこはかとなく「香港映画」の香りがするなあ・・・と思ったらジャッキー・チェンのスタントチーム出身のブラッドリー・ジェームス・アランという人がアクション演出を手がけていた。
「キック・アス」や最近では「キングスマン」でも活躍している人だ。

アクションはきっちりしているし、コメディ部分は笑わせてくれるし、好きだなコレ。
どんなに危機的状況に陥っても「パブで酒を呑む」ってことにこだわるゲイリーに笑ってしまう。
でも、笑いだけじゃないんだな。彼の両手首に巻かれた包帯が意味深だ。
幼なじみ達は自分の人生を歩んでいるというのに、ゲイリーだけはふらふらといつまでも酔っ払いのままだ。異星人の侵略がなく、12件のパブのハシゴが当初の予定通りに終わっていたらゲイリーはどうなっていたんだろう。
これって、ゆる~い映画の振りして本当はすごく深い内容なのだろうか・・・。

高次の生命体はその精神構造も完成され統一されたものだろう。それに比べて人間のバカなこと。ただ、その「バカ」っていうのは「多様性」と言い換えてもいいんじゃないのか。
すべてに「画一化」された異星人達と、地球人の「多様性」。どちらがタフかっていったらそりゃあねえ?おまけに「酔っ払い」だ。

そして、映画のラストは想像の斜め上を行く。
「あー、そうなの・・・?」「ひゃー!」とNと二人で感嘆の声がでてしまった。
でもこのノリ嫌いじゃない!面白かった!
ゲイリーが生き生きと、したたかに、ノリノリで生き延びているのがいいね!

ネットでの評判は賛否両論だけど、私はかなり好き。
後片付けしながらだったので、途中ちゃんと見てないところがあるからもう一回見ようっと。
これより「ホット・ファズ」の方が面白いって言われてたので今度はそれも借りてこよう。
「ホット・ファズ」と「フル・モンティ」は前から気になりつつなかなか手が出なかったんだよね~・・・。



・・・近所のレンタル店、「ホット・ファズ」がなかった・・・。



The Sherlock Special: New Trailer



「Sherlock」がアーサー・コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」は勿論、これまで演じられてきたシャーロック・ホームズを下敷きにして創られたなら、今回のスペシャルは過去のホームズだけでなく、さらにさらに「Sherlock」のシャーロックをも下敷きにしたシャーロック・ホームズなのかしら・・・ってもうなに言ってるかわかんない。
とにかく「スゴイんじゃない!?」って話だ。
そして映像がまるで映画のようじゃないですか!BBC、お金持ちなの?

「Sherlock」はいつまでも見ていたいけど、人気があるからってダラダラ続けてクオリティが下がるのはイヤだ。シャーロックは若くて未完成でザラザラしてるのがいいんだ。年を取って落ち着いちゃったりしなくていいんだ。


で、「Sherlock」が終わったら「正典」をやればいいんだよ!
シャーロックじゃなくてシャーロック・ホームズを。
あー、もう、ホームズなバッチさんはステキだな。


日本ではいつ見られるの?
「COMING SOON」っていつさ!!

れっつ はむれっつ

さてさてさて。
思いもかけずに予習が役に立つ時がやって参りました。(たつのか!?)
来年の何月になるかな~、チケット取れるかな~・・・なーんてノンビリ構えていたらこれだ!

少しでも気になるならやってみよう。
時間だったり、金銭的なことだったり、クリアしなきゃならないことはあるけど、行けそうなら行っちゃえ!と最近思うようになったんだよね。
自分が持ってる時間は無限ではないってことに最近はたと気づいちゃったから。
そういう訳で私はトウキョウへまたしても行くのです。

字幕がないから、とりあえずハムレットのモノローグだけは押さえておこう。
セリフの冒頭の出だしを聴いて、その意味を理解できるように日本語訳を覚えておくかな・・・。こういう時古典だと助かるわあ・・・。
そして天下のシェイクスピア劇とはいえ、元は娯楽の一つであったはず。あまり肩に力を入れずに楽しもう!

さあ、11月6日はみんなで
れっつ はむれっつ。



・・・だが、しかし。
『ホテル代が一人も二人も変わんないからオレもトウキョウ行きた~い』と夫が言い出した。
別行動だからね!!いいね!?
妻には妻のつきあいがあるの!!

うう・・・。
なかなか「一人旅」って出来ないものなのね・・・・。

ハムレット 7

ミニオンズが可愛かったり、強化合宿が催されたり、フランケンシュタインだったり、何かと忙しくて後回しになっていましたが、テナント版「ハムレット」を観ました!!
hedgehogさん貸してくださってありがとうございます!!

私にとって二人目のハムレットなんですが、こうやって比較してみるとやはり藤原ハムレットは若い。若さ故の率直さが彼を突き動かしていたんだな~。
さて次はテナントハムレットについて感想を・・・と思っていたらしましまさんがベン・ウィショー版ハムレットについてブログに書かれていました。

その感想を書いた記事の中に「当時の照明ではほとんど役者や舞台美術は今の舞台上のようには見えなかったため、その分を説明で補う台詞が長い」という説明がありました。
これを読んで目から鱗が!
というか、当たり前の前提をすっかり忘れていたわ~私。

「ハムレット」は舞台劇なのだ。
映画やドラマとは違って、目の前に観客がいて、箱みたいに限られたスペースで演じる。
オフィーリアの墓でのシーンの後、イギリス行きの船に乗せられてたハムレットがどのように戻ってきたかをホレイショーに説明しだす。
「唐突だなー」と違和感を感じていたけど、これ観客に対しての説明なんだね?
なるほどなるほど。いやーすっきりした。

そして、私がハムレットを観るに当たってどうしても納得いかなかったこれまたオフィーリアの墓のシーンからその後の展開。
彼女の死を悲しんでいたはずなのに、その後のハムレットは全くそれについて触れない。
オズリックと平然と話をして、レアティーズとの剣の試合の申し込みを受ける。そしていざレアティーズと顔を合わせると「狂気が悪いんであってボクが悪いわけじゃないんだから今までのことは許してね」と言う。

なにこれキモチワルイ。
納得いかなーい!
藤原ハムレットの時はなんとか理由をつけて自分を納得させたさ!
テナントハムレットなら何とかしてくれる・・・そう思ったけど・・・お前もか!テナントハムレット。オフィーリアのこと愛してないのか!


けれども、これはお芝居なのだ。
目の前の観客の心に、悲しみとか、笑いとか、ワクワクドキドキした気持ちを湧き起こさせるのが先決ではないのか。矛盾なんかちょっとくらい脇に置いてしまって。
目から鱗が落ちた私はそう思う。


さてそこで、すごく乱暴なこと言いますよ、私。

ハムレットはドリフのコントである

怒られそうですね。まじめなシェイクスピアファンに。

つまり、どんなに志村の後ろに賊が近づこうとも、観ている観客は「どうして毎回毎回志村は気付かないのか」とは思わない。
「しむらー!うしろうしろー!」とわあわあきゃあきゃあ言って楽しむ。それがお約束。
「ハムレット」もそういう見方でいいんじゃないのか。
ハムレットがいつまで経っても復讐を果たさないっていういけど、さっさと終わらせちゃったら話が続かないじゃないの。
観客は剣を納めるハムレットを見て、ほっと胸をなで下ろし、その後の話の展開をワクワクして待てばいいのではないの?
細かいことは言わずに楽しめば良いのだ。「しむらーうしろー!」って言いながら。


ところで、新潮文庫版の「ハムレット」を読んでいて不思議に思ったところがある。
これは戯曲なので、それぞれ誰のセリフなのかが分かるように名前が上に書かれている。
オフィーリアの墓を掘っているのは「墓堀」でいいはずなのに、彼らは「第一の道化」「第二の道化」なのだ。
「道化師」については『舞台演劇においての宮廷道化師は、右往左往する貴族達をからかい、観客を楽しませる道化役であると同時に 物語に深く立ち入らずに登場人物に干渉する事で、観客を物語に引き込みつつ物語を客観視させるという ある意味、最も重要な役割を担っていると言える』と書かれたものがあった。

ここだけポッカリと別の次元のようなのだ。ハムレットと道化達の会話の場面だけ。
お芝居というものがまず観客ありきのものならば、そして道化の役割が上記のようなものならば、この場面は芝居の終わりに向かっての「タメ」みたいなものなんじゃないの?
もしくは主役と道化によるクライマックスへ向かっての前振り。

さあさあ!お客さんがた。
死んだらみんな穴に埋められて、掘り起こされれば誰であろうとただの頭蓋骨。
そこのところを覚えておいて。これ大事だからね。
この後何が起こるかちゃんと見ておきな。
ここからクライマックスなんだから。用意はいいかい?

・・・と。

そんなふうに考えたら、ハムレットの死も、王や王妃の死も、みんな同じなんだね。
アレクサンダー大王だって、死んでしまった後は酒樽の栓になってるかもしれない。
悩みに悩んだハムレットは、その悩みが大きかった分なんだか滑稽ですらある。死んじゃってみんなと同じ骨になるのに。

「ハムレット」は王子とその周りの人間達が破滅していく悲劇であり、青年が成長する物語であり、作者のシェイクスピアがその時代の揺らぎを反映させた物語である。

そして実はとっても皮肉な「喜劇」でもある・・・というのは穿ち過ぎかしらねえ。

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